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大阪高等裁判所 昭和31年(ナ)5号 判決

原告 光岡正逸郎 外九名

被告 大阪府選挙管理委員会

主文

原告等の請求を棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

事実

原告等訴訟代理人は「昭和三一年五月五日執行の大東市議会議員一般選挙における選挙および当選の効力に関する訴願につき、被告が同年九月一五日付でなした裁決を取消す。昭和三一年五月五日執行の大東市議会の議員の選挙のうち第二選挙区の選挙は無効である。訴訟費用は被告の負担とする」との判決および予備的に、「昭和三一年五月五日執行の大東市議会議員一般選挙における選挙および当選の効力に関する訴願につき被告が同年九月一五日付でなした裁決を取消す。昭和三一年五月五日執行の大東市議会の議員の選挙における第二選挙区当選人岩木健次、山本孝太郎、亀田久満雄の当選は無効である。訴訟費用は被告の負担とする」との判決をもとめ、その請求の原因として、次のとおり述べた。

一、原告栗田依弘三、唐金義高は、請求の趣旨に記載する第二選挙区の選挙(本件選挙)における候補者、他の原告はその選挙人である。

二、昭和三〇年一二月二〇日確定の大東市基本選挙人名簿に登載されていた選挙人原告徳重良夫ほか一五二名につき、大東市選挙管理委員会は昭和三一年四月二五日突如、誤載である旨の表示をし、右一五三名に対し、同日同委員会委員長橋本喜一郎より、本件選挙における選挙権ならびに被選挙権を有しない旨の通告があり、右選挙における入場券も配付されず、そのため右一五三名は右選挙において選挙権ならびに被選挙権の行使を妨げられた。

三、右一五三名は、いずれも年令満二〇年以上の日本国民で、昭和三〇年九月一五日現在引続き三ケ月以来大東市の前身たる住道町の区域内に住所を有していた。従つて、旧住道町選挙管理委員会が、昭和三〇年九月一五日現在で調製した基本選挙人名簿に右一五三名を登録したのは当然であり、右名簿は昭和三〇年一一月五日から一五日間の縦覧期間を経て同年一二月二〇日確定した。そして、右一五三名は現在も引続き同じ区域(昭和三一年四月一日から住道町は大東市となつた)内に住所を有し、住民登録も戸籍簿も大東市にあり、納税等一切の行政上の権利義務も大東市で行使し履行しており、大多数は、昭和二五年以来引続き五年以上も旧住道町の基本選挙人名簿に選挙人として登載され、その間の国および地方の各種選挙に同町で有効に選挙権を行使してきているのであつて、その後現在まで、これらの者の居住区域について法的に効力ある市町村の境界変更が行われた事実はない。

四、右一五三名に対する大東市選挙管理委員会の前記誤載の表示選挙権被選挙権のない旨の通告、入場券無配付の処置は違法であり、右一五三名は正当に有する選挙権および被選挙権(満二五歳以上の者)の行使を妨害されたものであつて、右違法の処置がなかつたならば、右一五三名の所属選挙区たる第二選挙区における立候補者には異動があつたことが考えられ、その場合は、選挙の結果にも異動が生ずるおそれがあるから、右第二選挙区の本件選挙は当然無効といわねばならない。

五、仮に本件選挙が当然無効でないとしても、本件選挙の結果は左記のとおりであり、各候補者の得票数からいつて、右一五三名の投票の結果いかんにより、当選人岩本健次、山本孝太郎、亀田久満雄の当選については、少くとも異動を生ずるおそれがあるから、右三名の当選は無効である。

(1)  総投票数  七、四四二票(持帰り二票)

(2)  有効投票数 七、一八六票

(3)  無効投票数   二五六票

(4)  候補者数 二二名  当選者数 一五名  落選者数 七名

(5)  候補者の氏名、当落別、得票数

当選者 福田博   五九五票 中村清    四九一票

若林鶴松  四一八票 村田弥四郎  四〇九票

加藤長治  三八一票 宮本庄蔵   三八一票

船木勝一  三七九票 中川安治郎  三七四票

山本寅雄  三三五票 三ツ川為次郎 三三三票

北田竹治郎 三一八票 藤野太三郎  三一七票

山本孝太郎 三一三票 岩本健次   三一〇票

亀田久満雄 二八九票

落選者 大東示男  二八八票 平田一夫   二七五票

唐金義高  二五六票 淀武雄    二四九票

岡本寅松  二〇五票 栗田依弘三  二〇一票

一井栄一  六八票

六、そこで原告等は、本件選挙につき、昭和三一年五月一九日大東市選挙管理委員会に対し、選挙ならびに当選の効力に関する異議の申立をし、同委員会が同年六月二一日その申立を棄却する旨の決定をしたので、同年七月一二日被告委員会に訴願をしたところ、被告委員会は同年九月一五日訴願を棄却する旨の裁決をし、その裁決書を同月二〇日原告等に交付した。

七、右裁決書において、被告は、右一五三名を、昭和三〇年九月一五日現在、住道町に住所を有していた者とみとめ得ないとし、その住所は、当時も現在も住民登録も戸籍簿の記載もなく納税等一般行政事務も行われていない河内市に属するものとみとめることが妥当であると主張している。

これは、現に有効に成立し、取扱われている右一五三名の住民登録、戸籍簿の記載、納税その他各種行政上の権利義務の行使を全部無効とする前提に立たざるを得ない暴論であり、行政上の適法推定の原則からいつても、また法秩序の維持という観点からいつても許されない考え方であるのみならず、市町村の境界変更等に関しては、地方自治法の規定に基かない限り知事も独自に裁定決定等をなし得ず、いわんや選挙管理委員会が、現に関係市町村において有効に取扱われている境界と異る境界を認定し選挙人たる住民の所属を勝手に変更する行為は、とうてい許されない越権行為であり、選挙管理委員会は、その所属する地方公共団体とその住民の住所について異なる取扱いをすることはできないと解すべきである。このことは、公職選挙法、地方自治法その他いずれの法律によるも選挙管理委員会に右と異なる独自の資格や権限を与えたとみられる条項はなく、また、選挙管理委員会の構成ならびに能力からしても、当然の結論である。

もつとも、右一五三名の住所のある地域について、大東市と河内市との間に、その帰属について争があり、現に大阪地方裁判所に境界確定の訴訟が係属中で、終局的には確定判決をもつて決定されるが、その確定判決があり、これに基く内閣総理大臣の告示がなされるまでは、従来の所属に従うのが、法秩序の維持ならびに法の一般原則に照し当然である。

これを、住民が自らに代つて市政府政国政に参与する代表者を選ぶ選挙の本質からいつても、行政上の一切の権利義務を行使し平素から公私になじみ深い地域において投票してこそ適正な選挙権の行使が行われるのであり、これに反し、行政上の帰属を異にする地域で選挙権だけ行政上の住所より切離し投票を強要するがごときはまつたくナンセンスといわざるを得ない。

八、そもそも上記一五三名の住所のある地域附近は、もと、旧住道町大字灰塚(現大東市)と旧中河内郡盾津町大字加納(現河内市)との境界にわたつて存在した農地であつたのを、昭和一八年頃松下飛行機株式会社に工場建設用地として買収されて原形を失い、昭和二四年大阪府が同会社から転売を受けてここに府営朋来住宅を建設した。そしてその行政区画上の所属につき、右朋来住宅第一区の完成直後たる昭和二五年五月頃住道町盾津町間において、もと松下飛行機株式会社建設部長で、昭和一八年買収の際その衝に当つて、境界所属に最もくわしい小林茂の参加協力のもとに、住道町中谷町長、盾津町藤井助役等両町の当路者が立会い、現地において、昭和一八年買収当時の書類や各種地図等を慎重に検討し、現場と地図等を対照して調査の結果、府営住宅第一区中東約三分の一の二六戸の部分は盾津町大字加納、西約三分の二の六〇戸の部分は住道町大字灰塚であることが確認され、右区分に従い、右六〇戸に入居した前記一五三名は大阪府知事から「住道町所在府営朋来住宅」に入居許可の通知を受け、以来約六年間平穏公然何等の異議をとどめず戸籍住民登録上も住道町(現大東市)大字灰塚一三〇番地の四に所属するものとして取扱われて来、納税学校その他すべての行政上の権利義務を住道町民(大東市民)として行使履行してきたものである。

九、なお、上記一五三名が、大東市および河内市双方の昭和三〇年度基本選挙人名簿に登録されていることは被告主張のとおりである。

被告訴訟代理人は主文同旨の判決をもとめ、答弁としてつぎのとおり述べた。

一、本件選挙につき、原告栗田依弘三、唐金義高が候補者原告吉原義徳が選挙人たることはみとめるが、他の原告は選挙人ではない。

昭和三〇年九月一五日現在で調製され同年一二月二〇日確定した旧住道町(昭和三一年四月一日大東市となつた)の基本選挙人名簿に登録されていた徳重良夫(原告)外一五二名につき、原告主張のとおり、誤載の表示、選挙権被選挙権を有しない旨の通知がなされ、入場券の配付がなされず、右一五三名が本件選挙において、投票ならびに立候補ができなかつたこと、右一五三名が年令満二〇年以上の日本国民で、当時まで五年間以上旧住道町の基本選挙人名簿に登録され、これにより同町において選挙権被選挙権を行使してき、住民登録も大東市役所になされ、納税等の行政事務の関係でも旧住道町ないし大東市の住民として行動し、取扱われてきたこと、右一五三名の居住する地域につき、市町村の境界変更が行われていないこと、本件選挙の結果が、原告主張のとおりであり、本件選挙ならびに当選の効力に関し、原告主張のとおり、原告等からの異議申立および訴願、これに対する決定裁決および裁決書の交付のあつたこと、右裁決書において被告委員会が上記一五三名について、旧住道町の住民として住民登録、戸籍公租公課に関する公法上の義務を履行してきたほか、参政権を行使してきたことをみとめつつ、原告等の申立を排斥したこと、上記一五三名の居住する地域につき、大東市と河内市との間に、帰属の争があり、大阪地方裁判所に訴訟が係属中であつて、両市のいずれに所属するかは、右訴訟の確定判決によつてはじめて終局的に決定される関係にあること、はすべてみとめる。

二、上記一五三名が居住し、その住所のある地域(本件係争地域)は、河内市の区域に属し、大東市の区域には属しない。従つて、右一五三名は河内市の住民であつて大東市の住民ではない。そして、昭和三〇年九月一五日現在で調製された河内市の基本選挙人名簿にも登録されているのであるから、大東市選挙管理委員会が前記のとおり、大東市の基本選挙人名簿における右一五三名の登録を誤載としてその旨の表示をし、選挙権被選挙権のない旨の通知をし、入場券を配付しなかつたことは、正当で、違法の点はない。

係争地域をふくむ附近一帯の土地は、戦時中松下飛行機株式会社が買収して工場敷地とするために整地した結果、その地帯を通つている住道町(現在大東市)大字灰塚と盾津町(現在河内市)大字加納との境界線、すなわち両町の境界線は、まつたく原形を失つてしまつた。しかし、右の地帯に、もと、灌漑用水路として大阪府の公用開始決定を受けていた国有の雑種財産たる無番地の土地があり、これを戦時中松下飛行機株式会社が払下げを受けて取得し、その登記に際し、盾津町大字加納三六〇番地の一の地番が附せられた。右の土地も右会社の工場敷地として埋立てられて原形を失つたが、公用廃止後大阪財務局から大阪府土木部総務課に引継がれた水路実測図面(乙第七号証)に右土地が図示されており、これを、大阪府建築部住宅建設課が昭和二五年一月頃実測作成した府営朋来住宅(係争地域をふくむ)の排水図(乙第八号証)と対照し、両図面に原形をとどめている府道枚方八尾線と別の水路とを基準にして図面上測定すると、係争地域が前記盾津町大字加納にあつた水路を埋立てた場所にあり、従つて現在の河内市の区域に属することが判然とする。

三、選挙管理委員会は、当該都道府県市町村の長の所管にかかるがその職務は独立して行うことになつており、一の行政庁としてその所管事務の処理に必要なかぎり、その管轄する市町村の区域を自らの判断によつて決定すべきであり、境界確定訴訟における裁判所の確定判決によつて拘束されるほかは、当該市町村が選挙関係事務以外の行政事務につき、その境界をいかように考えていようとも、これによつて拘束を受けるものではない。従つて大東市選挙管理委員会は、大東市が係争地域を大東市に属するものとして戸籍、住民登録、徴税その他の行政事務を行つているからといつて、これに拘束されるものではない。

原告は、選挙管理委員会に独立の立場で市町村の境界を認定する権限がないとする立場から、係争地域に過去数年間選挙事務を除くその他の行政事務が、大東市によつて行われてきているという既成事実にのつとり、選挙管理委員会もこれと同一の取扱をすべきものと主張するが、市町村の区域に時効制度が適用になるわけでもなく、地方自治法第五条第一項にいう「従来の区域」は、古く明治一一年太政官布告第一七号郡区町村編成法によつて定められた区域もしくはそれ以前に定まつたところによるもので、その後に法律に定められた手続による境界の変更がないかぎり、古くから客観的に定まつていて、被告委員会および河内市選挙管理委員会は、選挙人名簿調整のため、選挙人の資格を調査するに当り、区域を一応確定する必要に迫られ、客観的資料にもとずいて係争地域を河内市に属するものと認定したものであつてその認定は前述のごとく正当で、これにそう大東市選挙管理委員会の認定および前記措置も正当といわねばならない。

四、なお、選挙争訟における選挙の有効無効は、選挙の規定違反を前提としてのみ論じ得るところであり、本件の事案では選挙の規定違反はない。仮に選挙の規定違反に当るとしても、事実上投票できなかつた者の数が一五三名と判明しているかぎり、選挙の無効原因とはならないし、また、公職選挙法第二〇九条の二により当選の効力に関する争訟における潜在的無効投票の取扱が新設された以上、当選の無効原因とはならない。

(証拠省略)

理由

一、昭和三一年五月五日行われた大東市議会議員一般選挙において、原告栗田依弘三、唐金義高が第二選挙区の候補者、原告吉原義徳が同じく選挙人であつたこと、右の選挙に当り、昭和三〇年九月一五日現在で調製され、同年一二月二〇日確定した大東市の基本選挙人名簿に登録されていた原告徳重良夫外一五二名(上記四名以外の原告六名を含む)につき、大東市選挙管理委員会が、同年四月二五日その登録を誤載として右名簿にその旨表示し、同日右一五三名に対し、右の選挙における選挙権および被選挙権のない旨を通告し、投票所入場券を配付せず、そのため右一五三名が本件選挙における投票を妨げられたこと、右第二選挙区の選挙の結果総投票数、有効投票数、当選者落選者の氏名および得票数が原告主張のとおりであつたこと、原告等が上記一五三名に対する大東市選挙管理委員会の上記措置を違法として、昭和三一年五月一九日同委員会に対し本件選挙の効力ならびに当選の効力に関し異議の申立をし、同年六月二一日同委員会により右異議の申立を却下する旨の決定があつたので、同年七月一二日被告委員会に対し訴願をしたのに対し、被告委員会が同年九月一五日上記一五三名の住所のある地域は河内市に属し大東市に属しないから右一五三名は大東市の住民ではないとして、右訴願を棄却する旨の裁決をし、その裁決書が同年九月二〇日原告等に交付されたことは当事者間に争がない。

二、被告は、大東市選挙管理委員会の上記措置が、原告主張のごとく誤つていたとしても、公職選挙法第二〇五条にいう選挙の規定に違反する場合に当らず、また、選挙の規定に違反するものとしても、投票できなかつた者の数が一五三名と判明している以上選挙無効の原因となるものではないと主張するが、右法条にいう選挙の規定に違反するとは、同法における明文の規定に違反する場合のみならず、その選挙の管理執行に当る選挙管理委員会の措置が、同法の保障せんとする選挙の自由公正を妨げるものである場合を広く含むものであり、上記一五三名が本件選挙につき選挙権を有したものとすれば、その自由な行使を妨げた右委員会の措置は、選挙の規定に違反するものというべきであり、かつ、上記選挙の結果に照らし、選挙の結果に異動を及ぼす虞があるものとみとむべきであつて、本件選挙の無効原因となるものといわねばならない。

三、上記一五三名が、当時年令満二〇年以上の日本国民で、大東市(旧住道町)と河内市(旧盾津町)とにまたがつて存する大阪府営朋来住宅の東端八六戸中、さらにその東端の二六戸(この二六戸の地域が河内市に属することは争がない)をのぞく西部の六〇戸のうちに居住してここに住所を有し、右六〇戸の地域(係争地域)が昭和二五年以来、住道町(昭和三一年四月一日大東市となる)の区域に属するものとして、居住者たる上記一五三名等につき、住道町において戸籍、住民登録、徴税、学校等の事務が行われ、住道町の住民として住道町の基本選挙人名簿に登録され、これにより各種選挙において選挙権被選挙権の行使がされてきたことは当事者間に争がない。

四、原告等は、右の事実にもとずき、大東市選挙管理委員会は本件選挙につき、上記一五三名を大東市の住民として取扱うべきものと主張する。

しかし、市町村選挙管理委員会は、その所管事務の遂行につき所属市町村の長の指揮監督に服する関係にあるものではなく、また、一の行政庁として、市町村の長を含む他の行政庁のなした有効な、または有効と推定さるべき行政処分の効力には拘束されるとしても、それら行政処分の前提として、当該行政庁によつてなされた事実上または法律上の要件の判断については、これによつて拘束を受けるものではない。従つて、上記係争地域の居住者に対する住道町(の長)の各種行政処分が、行政処分として有効の推定を受けるということから、直ちに、その行政処分の前提となつた住道町の区域の認定が、大東市選挙管理委員会に対して拘束力を有するものとすることはできない。その市町村の区域ならびに住民としての取扱いが、その長におけると選挙管理委員会におけると相反することは、市町村の内部の統一をみだす結果となり、好ましくない事態であることは原告等のいうとおりであるが、さればといつて、右に関して市町村の長の判断を選挙管理委員会の判断に優越せしめることによつて、これを解決せんとする原告等の主張には法律上の根拠が見出しがたく、終局的には境界確定の訴訟における確定判決等によつて解決を期すべきであつて、その解決まで一時混乱を生ずるのは、やむを得ないところとしなければならない。

五、ただ、係争地域が、従来住道町(大東市)の区域の一部として平穏に一般行政事務が行われてきたという事実は、係争地域が大東市の区域に属するものと、一応推定せしめる根拠となるものということはできる。

ところで、係争地域を含む一帯の土地は、昭和一八年頃松下飛行機株式会社が買収して工場敷地として整地し、そのため、係争地域附近を通つている住道町と盾津町との境界線が原形をまつたく失つた結果明確を欠くにいたつたものであることは当事者間に争がなく、その後昭和二四年大阪府が右会社から、右係争地域を含む土地を買取り、ここに大阪府営朋来住宅を建設したことは被告の明らかに争わないところである。

成立に争のない甲第三号証乙第一、二号証第四号証の一、二、証人府道八郎、東多一郎、大川秋蔵、中谷吉太郎、間野敬重、橋本喜一郎、中野甚太郎の各証言を総合すれば、右府営住宅建設に伴い係争地域附近における住道町と盾津町との境界を、旧来の面目を一新した現地について明確にする必要を生じたので、昭和二五年五月頃、住道町側から町長中谷吉太郎、助役大川秋蔵および書記西端辰蔵、盾津町側から税務課長安井外二名ほどが、松下飛行機株式会社の建設部長小林茂の参加の下に係争地域附近の現地に立会い、右小林茂がもつぱら往時の記憶にたよつて指示するところに従い、係争地域を住道町の区域とし、その東側を南北に走る線をもつて、両町の境界線として確認する協定をし、以来その線を境界として、両町の行政事務が行われ、係争地域の前記六〇戸は住道町に属するものとしてその居住者に対し、前述のとおり、住道町によつて、戸籍、住民登録、徴税等の事務がなされ、また住道町の選挙人名簿に登録して、これにより選挙権の行使が行われてきたわけであるが、翌昭和二六年一〇月頃盾津町において住民登録のため、係争地域附近の地番を調査したところ、右協定の境界線が誤つて盾津町の区域内に入り込んでいると考えられたので、翌昭和二七年春頃盾津町から住道町にあらためて境界確定の交渉をしたが、住道町側が応じなかつたため、翌昭和二八年九月頃大阪府土木部に境界明示の申請をし、昭和二九年には大阪府地方課に明示を督促し、そのすすめで、同年四月頃から再び住道町と直接交渉を試みた結果同年五月二六日頃、盾津町側から助役中野甚太郎、および町議会議長藤本等、住道町側から桜井助役、宮本町議会議長その他土木課員等が現地に立会い、土地台帳附図、大字別図面をつき合せ、また附近の古老三人にも問うた上、境界線を係争地域の西を南北に走る線と確認して協定をとげたところ、間もなく住道町の方で右協定の効力を否定するにいたり、その後昭和三〇年一月一一日盾津町は町村合併により河内市となつたが、同年二月二七日施行の衆議院議員選挙に先だち、被告委員会から、住道町選挙管理委員会に対しては、住道町の基本選挙人名簿に登録された係争地域居住者については、誤載として処置すべく、河内市選挙管理委員会に対しては、これに対応して補充選挙人名簿に登録する措置に出ずるよう指示を与え、住道町選挙管理委員会は右指示に服し、その後大阪府地方課の斡施により、境界変更を将来に期待する諒解のもとに、同年三月五日三たび現地に住道町からは町長中谷吉太郎以下町議会議員等、河内市から市長、助役、市議会議員等が立会い、これに大阪府地方課員の東多一郎、府道八郎等が参加して、境界線を係争地域につき前記昭和二九年五月二六日頃協定の線と一致したところに確認し、昭和三〇年三月二九日右の線を境界と確認する旨の協定書を作成し、双方の市長町長以下がこれに調印したのであるが、その後また住道町において右協定に服せず、同年九月二三日住道町より大阪府知事に右境界紛争について自治紛争調停委員による調停を申請してその調停に付せられ、昭和三一年三月二日右調停委員長より、境界を上記三月二九日協定書において確認された線とする調停案を示し、受諾の勧告があつたが、住道町において同月三〇日右調停案の受諾を拒否し、調停は打切られることになり、住道町は同月三一日河内市を被告として大阪地方裁判所に境界確定の訴を提起するにいたり、その間、昭和三〇年九月一五日現在で調製された住道町の基本選挙人名簿には、やはり係争地域の前記一五三名が登録されたが、大東市選挙管理委員会は昭和三一年四月二五日被告委員会の指示によつて、誤載の表示をしたものであるという経過をみとめることができる。

右の経過によれば、係争地域に昭和二五年以来住道町による行政事務が行われてきた端緒ともいうべき上記昭和二五年五月の境界線の協定確認が、さして厳密な考証によつて行われたものではなく、その半年後には早くも疑義を生じて両町の紛争がはじまつて現在に及んでおること、その間二度にわたつて行われた双方の協定において、かえつて住道町側でも係争地域を盾津町として確認を与えていることにかんがみれば、係争地域に前記のとおり昭和二五年来住道町による行政が行われてきたという事実も、係争地域を住道町(大東市)の区域と推定する根拠としては極めて薄弱たらざるを得ない。

一方、上記乙第二号証、成立に争のない乙第六ないし第一二号証明治一九年陸軍陸地測量部作成地図であることに争のない検乙第一号証証人府道八郎、東多一郎の各証言を総合すれば、係争地域のあたりに、同所を松下飛行機株式会社が工場敷地とする前、盾津町大字加納の区域に属する国有財産たる灌漑用水路があり、右会社がその払下を受けこれに盾津町大字加納三五六番地の一なる地番の設定を受けて登記しこれを埋立てて工場敷地としたため、原形を失つたが、右払下申請の時右会社が作成した縮尺千分の一の右水路の実測図が、大阪府土木部に残つており(乙第七号証)その図面には、現在も形を変えずに係争地域の東を南北に通じている府道八尾枚方線が図示されているほか、上記府営住宅の四方に、北方よりはじめてL字形をなし、現在も残存する水路が図示されており、右水路実測図を、大阪府建築部住宅建築課で作成した右府営住宅所在地域の縮尺六百分の一の実測図たる大阪府営住道住宅排水図と題する図面(乙第八号証)と対照し、右排水図にも上記府道およびL字形水路が図示されているので、両図面に共通に存する右府道およびL字形水路を基準として両図面の縮尺に従い、右排水図上に上記盾津町大字加納三五六番の一の元水路の所在場所を測定すると、その場所が、本件係争地域と一致することがみとめられるほか、前記昭和三〇年三月二九日の協定書(乙第二号証の一部)に附図として添付された図面に協定の線として、係争地域を盾津町とする境界線が図示されているが、その境界線を引くについては、それまで、大阪府地方課員東多一郎、府道八郎等が土地台帳附図、陸地測量部地図等諸種の図面を対照し、上の如き元水路の測定のほか、係争地域近くで、府道より西に存する盾津町大字加納の各地番の地積の集計や古い陸軍陸地測量部作成の地図における境界線の形状を参照し、これらを基礎に境界線を出したのにもとずいていて、右境界線測定の操作が合理的になされていることがうかがわれ、以上によれば、係争地域につき、相当の確実性をもつて盾津町の区域に属することが推認できるといわなければならないので、これと対比すれば、上記行政事務の実際よりする推定は、とうてい維持しがたいものとするほかはない。

六、さすれば、係争地域が河内市の区域に属し、大東市の区域に属せず、右に住所を有する上記一五三名が大東市の住民でないことを前提とする大東市選挙管理委員会の前記誤載の表示等の行為はすべて正当というほかなく、何等違法とすべきではないので、右を違法とする前提にたつて、本件選挙無効を主張する原告の主張は理由がない。

七、当選無効の請求については、その無効原因として、原告は本件選挙の無効原因として主張するところと同一の事由をあげるのであるが、これがみとめられるかぎり選挙の無効を来す事由であること冒頭に述べたとおりであるから、選挙の有効を前提とする当選無効の原因となり得ぬこと論理上明らかであつて、主張自体ですでに理由がないというほかはないし、また、原告の主張する事由たる大東市選挙管理委員会の措置が正当とみとむべきこと上段説明のとおりである以上いずれにせよ、原告の当選無効の請求は認容するに由がない。

八、よつて、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用し、主文の通り判決する。

(裁判官 神戸敬太郎 金田宇佐夫 鈴木敏夫)

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